「困っている人がいたら、一緒に困ってあげなさい」
子供のころの祖母の口癖が仕事に限らず、生きていく上での指針になっているという桑原さん。堅実というか、どうも一見「チャラい若者」に映るのも狙いのひとつらしい。
2019年、師走。平日のお昼すぎ、東京都中央区晴海の小型船乗り場に着いた。
これから「海洋散骨体験クルーズ」に参加するのだが、わたしは三半規管が弱く船酔いが心配でならない。迷惑をかけちゃいけない。おもえば不安が増してくる。帰ろうか……。「黎明橋」を渡る間、何度ユーターンしたくなったことか。「海洋散骨を取材しませんか?」編集者Tさんから聞かれた際、小型船だというのを失念していた。とほほほ(笑)。
この日、海洋散骨をプランニングする「ブルーオーシャンセレモニー」の体験クルーズの参加者は10名弱。ふだんは家族や自身の海洋散骨を検討している一般のひとが8割だそうだが、今回は「介護」や「終活」の仕事にたずさわるひとたちや、わたしたち以外にも取材クルーがもう一組いて、一般参加は女性がふたりだった。
「服装は平服でお願いします」あらかじめTさんから言われなければ、喪服にちかい格好を選んだはずだ。模擬だから平服でいいですよ、ということなのか?乗り場に着いて理由がわかった。専用ではないので、当然他の船を利用するひとたちもいる。たとえば結婚パーティーのひとたちと鉢合わせすることも考えられるからだった。
午後1時に出航。天候は晴れ。羽田沖の散骨ポイントに向けて40分ほどだという。「東京湾クルージング」も兼ねていて、レインボーブリッジを真下から見上げ「ほぅ」。東京ディズニーランドや羽田空港を離陸する飛行機を間近に見ることができ「おおー」。とたんに遠足気分めいてくる。へっぴり腰で乗船したのも束の間、船酔いの恐怖はどこにいったのか。いいかげんなもんだなぁ、人間心理というものは。
「きょうは模擬ですが、みなさんには『お別れ会』を体験していただきます。この船の船長を偲ぶという設定で、僕が喪主となり、のちほど献花と散骨も体験していただきます」
船室のモニターを背にした男性が進行について説明する。丸い眼鏡をかけた笑顔の「散骨コーディネーター」の桑原さんだ。
船長を故人に見立て、キャビン内には「思い出」の品々を展示したコーナーが設けられていた。小さな祭壇もつくられ、青春時代の写真などを編集したDVD映像がモニターに映し出される。
船長の村田さんが行きつけのバーのマスターが歌う「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」がブルージーで、聞けば有料ながらアルコールの提供もあるという。「故人を偲ぶ」展示品の中で目をひくのは、カスタムされたバイクに跨った写真。桑原さんによると「ご本人がその日にはこれを使ってほしい」というものだった。ご本人まだまだ元気なのだが。
実際に海洋散骨するプランには、「貸切」と「合同」で複数組が乗船するものがあり(ほかに乗船せずに散骨代行も可)、貸切の場合だと自由裁量の部分が多い。僧侶に乗船してもらっての法要も、なごやかなパーティー的な演出も可能だという。いくつか決まりがあり、たとえば「遺骨をパウダー状にする」ことが必要だが、そうした準備も請け負ってもらえるそうだ。
桑原さんの説明を聞いて、なるほどなぁとうなずいたのは、「粉骨してから出航までに一週間の期間を設けさせていただいています」という点。なかには親族の反対で、直前になってキャンセルになることもあるという。「お客様には、散骨日までにあらためて故人様や自分たちの想いと向き合ってもらえるよう」そのための期間を設けているそうだ。
実際に体験してみることで「こうだったよ」と話せるかどうかは重要ポイントのようだ。定期的に行われる体験クルーズにはそうした目的もあるらしい。それでも人間「迷い」は生じるものだ。全てを散骨せず、一部を残す「手元供養」の提案もしているという。
乗船スタッフは、桑原さんと船長の村田さんのほかに、もうひとり、がっちり体型に黒いスーツを着込んだ清水さんの三人。デッキで参加者たちがクルーズを満喫している間、キャビンでは清水さんがブッフェ用のデザートを並べていた。社内の愛称「クマちゃん」の彼は、小型船舶免許のほかに船長も持っていない貨物船を操船する免許を有している。
接岸の際の操船は彼の仕事で、「フェンダー」といわれる船体の側面に括りつけられたクッションに当てずに着岸できたときには密かに「やった!」と感じるのだという。まだ21歳ながら「早く船長になりたい」と笑みをみせる。人員が限られているため給仕も担当している。手つきが慎重なのは「慣れていない」かららしい。
停船したのは、北緯35度33分、東経139度48分。水溶紙に包んだ塩を「遺骨」に見立て、模擬散骨を行う。黙祷の間、桑原さんが鐘を打つ。10回。投じた花びらが海面に広がっていくのを見つめる。花びらが漂うポイントを中心に船は円を描くように3周。帰港予定は夕方4時前になるという。
復路のキャビンで、物静かな女性参加者の伊東さん(仮名)に話を聞いた。「お寺とつながりはなく、戒名に150万円したんです」。父親の葬儀を経験し「いろいろ思うことがあり」参加されたそうだが、ほかにも何十万単位でお寺にお布施をされたという。家の宗派も「どうだったか……」。納骨を終え「自分の身のしまい方を考えていく」なかで、散骨という方法を雑誌で知ったそうだ。
もうひとり。「すでに夫の海洋散骨を決めている」という近藤さん(仮名)は、春に亡くなった夫の希望で「みんなで楽しく見送りたい」。参加予定の親族らに「こんなだったよ」と話す材料として参加されたという。
参加者の数だけ「事情」があるのだろう。
こう見えて僕、けっこう人見知りで。
人と接するときは何かしら演じていたりする
さて、ここからは桑原さんに語ってもらう。下船後、地下鉄を乗り継いで移動。場所は江東区住吉にある、桑原さんが勤めるハウスボートクラブ直営の「ブルーオーシャンカフェ」。お客さんとの相談の場所と使う拠点であるとともに、一般の喫茶店としても営業している。
──名刺のお名前の「侑希」。ゆうきと読むんですね。
「ああ、お寺さんからもらった名前なんです。実家は福井で、由緒あるお寺の檀家で、筆頭総代をしていて、安土桃山から四百年つづくお墓があったりするんですよね。それで、侑の字はニンベンに有と書いてたすく、人を助ける希望になりなさいという意味なんだそうです」
──いいお名前ですね。
「ありがとうございます(笑)。親父は、ふつうにサラリーマンの転勤族で、近くの農家さんに土地を貸りてもらっている、いわゆる地主の29代目なんです」
兄弟は3歳ちがいの弟がひとり。桑原さん自身は独身だが、弟には子供もいて「代わりに継いでくれたらなぁ」と期待しているという。
「生まれは86年、昭和61年です。1月の早生まれだから来年34。結婚ですか?こないだフラレタばっかり。何を考えているのか分からないと言われたんですよね」
目下傷心の渦中にあるという桑原さん、しかし微塵も痛手を感じさせないほどに口調も表情も明朗だ。
「だいたい、いつも半年くらいで捨てられるんですよね。きょうは、こういう話でいいんですか?」
──大丈夫です(笑)。船では話し上手というか、落ち着いた話し方をされていましたが、いまの会社に入られてどれぐらいですか?
「二年目になるところです。新卒で入った会社は葬儀屋さんで、お亡くなりになったらお迎えに行き、打ち合わせをし、お式の進行をする。ディレクターといわれる現場をやっていました」
新卒入社は、都内をエリアとする大手の葬儀社勤務。「一日に通夜と告別式、さらにお迎えを担当」するような働きぶりが災いし、ある日「睡眠障害」に陥ったという。
「働くことは好きだったので苦ではなかったんですけど 、身体はそうでもなかったみたいで。ナルコレプシーという病気なんですけど、電源が落ちるみたいにして、フッと意識が遠のく。会社の車を運転していて事故を起こし、車はグシャグシャ。でも、身体は大丈夫で、お客さんを待たせていたので、一度会社に戻って、社長の車を借りて出かけていった。もうその段階で、精神的にやられていたんですよね(笑)」
退職後は骨休めだと貯金を食いつぶしていたというが、二ヶ月もたず500万円が底をついてしまった。