(お子さんが大きくなったときに、仕事の説明は?)
考えてなかったけど、うーん、言うと思います

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「高校を卒業して社員として入ったのが飲食業の会社。そこは5ヶ月くらいです」

 昼食後、葬儀ホールの打ち合わせ室に場所を移し、大屋さんにエンバーマーとなる前の仕事について聞いた。

──説明をうかがっていて話し慣れている印象から、接客の経験ありとおもったのですが。

「あ、白いのついています」

 えっ? と大屋さんの顔に目をやると、ご自分の口元を指さしている。促されて口角に手をやると、ご飯粒がついていた。ふたりしておもわず笑ってしまった。

──何を聞いていたんだっけ。あ、そうそう、職歴です。エンバーマーの前は何をされていましたか?

「歌うアイス屋さんを2年近くしていました。コールドストーンというんですけど、知りません? アイス屋さんのパフォーマンスというのかなぁ、21、22くらいのときです」

 あとでネット検索をするとアイスクリームが揃えられたカウンターの中で、リズムに乗ってアイスクリームを盛りつける。陽気な店員さんたちが歌っている。数年前ブームになっていたらしいが初めて知った。ディズニーランドのキャストみたいだった。大屋さんは「アイスが食べたくて」オープニングスタッフに応募し2年ほどバイトしていたという。

「社割でいっぱい食べられましたし。いまでもアイスは好きですよ。あっ、いまバカにされちゃいました?」

──いえいえ。とんでもない。素直なひとだなぁと。

 当時かけもちで居酒屋の「ホール係」もしていた。エンバーマーになろうと考えたのは22歳のころ。「手に職をつけたい」と考えたのだという。

「最初は葬儀社で働きたい。『死化粧』、亡くなった人に化粧をする仕事をしたいと思ったんですね。かけもちがハードになってきたこともあって。あともうひとつスポーツもやっていたんですよね。バトントワリングなんですけど」

 1987年生まれ。出身は青森県八戸市。バトントワリングは小学生から高校卒業、就職で上京してからも競技大会にも出場。「歌うアイス屋」をやめるのと同じころ「十分やりきった」と納得。「プロとしてやれるのはごく一部。手に職をつけよう」と気持ちを切り替えた。

「手に職」という堅実さに感心しながらも、それがどうして「葬儀」だったのか? 質問すると「高校生のときに母をなくしたんです。そのときに湯かんを見て」という。

「ありきたりな理由なんですけどね」

 大屋さん、笑顔で、さらっとした口調でいう。ぜんぜん、ありきたりではない。

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「水難事故だったんですけどね。遺体は見つかって、それで湯かんをしてもらったんです。手に職と思ったときに一番に浮かんだのが、母が湯かんされているときのこと。『死化粧』についてネットで調べたら、後に通うことになる『日本ヒューマンセレモニー専門学校』というのがあるとわかったんです」

 学校には葬儀の専門職を育成するコースとエンバーマーの二つのコースがある。大屋さんは胸に「葬祭ディレクター1級」の身分証を付けている。「ディレクターの2級はエンバーマーコースでも取れるんですよ」という。

「最初、お化粧のことを学びたいと思ったんですが、まずは葬儀をする人になろうとした。学科は両方受け、ダメもとで受験したエンバーのほうも受かり、ディレクターの資格もとれるというのでエンバーにしました。でも、そのときはエンバーマーというのが何をするのかよくわかっていなくて。お化粧のことが学べるぞ、ぐらいにしか。若かったですから。一石二鳥だ、取っておこうというくらいで」

──いつぐらいから、これを「自分の仕事」にしようと?

「専門学校は2年間あるんですけど、2年目になると(学校が提携している)葬儀社で実習するんです。エンバーミングっていいなと思ったのは2年目の後半くらいだから、自覚したのは遅かったですね。
 実習はスーパーパイザーという先生が見守っているなかでします。最初は固まりました。ほんとうに、わたしがやるのかって。本物のご遺体ですからね。
 じっと先生がやっているのを見ている。何回かそうやって、学生が順番にやってみる。わたしたちの学年はひとクラス9人でしたが、4回目ぐらいから、ちょっと切開してみてといわれる。そのとき生徒は4人。半分に分かれていました。もう8年前になりますね」

 専門学校を無事卒業、現在の会社に就職する。入社当初はエンバーミング部門が社内になく、要望があれば外注に出していた。件数が増え、外注ではまわらなくなったころ「わたし、やりたいです」と申し出たという。

「そのときはわたし、ひとりだったんですけど、いまは4人。それが(入社後)2年くらい経ったころ。それまでは葬儀スタッフとして、席のご案内とか焼香の案内とかイベント。フラワーアレンジメント教室だとか人形供養を会社でやるときについたりしていました。野菜販売もやりました。それで、せっかくエンバーの資格をもっているのに使わないのはもったいないと思うようになったんです」

 現在エンバーマーとしての勤務は週5日。シフト制で9時~18時。「毎月、土日祝日分の休み」がある。さきほど目にした施術室に入る前の部屋の壁のカレンダーのことを聞く。

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「ああ、CDC(Cosmetic Dressing Coffin)ルームのカレンダーは、担当した故人さまが何日にどこから出棺するのかを書いています。いまこの人はどこにいるのかを確認して、お化粧直しにうかがう目安にしています。エンバーミングをして火葬されるまでの日にちはバラバラなものですから。施術した各人が書き込むんです」

──多いと日に6件、名前が書き込んでありましたね。

「この時期(秋)は少ない期間なんですけど、忙しいと9時ケース・12時ケース・15時ケース、二つあるテーブルで合計6件までは受け付けています。だから一日にひとりが3件するということもあります。大変といわれたら、そうなんですけど、ほかの会社だともっとやっている人もいるので、どうなんでしょうね」

──どれぐらい処置されてきたんですか?

「何件かなぁ……千件くらいかなぁ。資格更新(認定から2年後、さらにその後は3年ごと)の時に協会(IFSA)に出さないといけないんですが。わたしはぜんぜん少ないほうです。卒業してから2年間のブランクもあるし、産休、育休も取っているので」

──故人のご家族とやりとりすることはあるんでしょうか?

「接点があるのは『お化粧直し』の際ですね。ご自宅に安置されていて、顔色が変わってきたというご連絡があれば、うかがってお直しをする。式場に安置されていたら、ご面会の時間にあわせて直させてもらう。会話ということでしたら、それ以外にはないですね」

──ご遺体に関する情報を取得するのは?

「エンバーミング依頼書というのがあって、口を閉じますか? 髭を剃りますか? いま着ている服は処分しますか? お化粧はどうしますか? 髪型はどうしますか? といった質問項目があって、それを見るというのが情報になります。その依頼書と死亡診断書のコピーがセットになっていて、二つの書類をもらわないとエンバーは始められないルールになっています。
 死亡診断書には、どういう病気で亡くなったか書かれているものですが、目に見えない感染症のリスクはあるので、わたしは、防護服は必ず着用しています」

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──ご遺体のメイクについて納棺師さんの体験談を読んだりすると、穏やかな顔つきに仕上げたと思ったら、ご家族から「父さんじゃない」「おかあさんじゃない」といわれるケースがあるとか。笑顔に見えるのがよくないと。家族ならではの違和感があるんでしょうね。事前に写真を見せてもらうということは?

「依頼書に、お顔はふくよかにしますか? という欄があって『写真のように』という項目があるんです。そのときは写真のデータとセットでもらいます。でも、写真があるときは稀です。一割あるかないか。エンバーマーに任せるという感じですね」

──任せられるのは責任重いですよね。

「重いです。わたしは、お顔を見て、やすらかに、やすらかにと思うだけで、ほかのことは考えない。わざと口角をあげるとかそういうことはせず、閉じた口のかたちを生かそうとしています。目とかも」

──そのひとらしいということでしょうけど、最善を尽くしても、うまくいかないということはありましたか?

「あります。……笑っているようにしてほしかったのに、むすっとしている感じに思えたのかなぁ。マッサージをして口元の頬を上げるくらいしかできないんですけど……。
 一度薬を入れると皮膚は硬くなって動かないので、気休めながらマッサージをして、メイクで口角が上がっているように描くとか。そういうことしかできないんです。やつれているので、もっとふくよかにしてほしいとかというときには『組織充填ゲル』を入れたりします。でも、そういう技術的なお直しはめったにないですね。
 よく言われるのは、口紅が濃いからナチュラルにしてほしいとか。もっと赤くしてほしい。眉毛をキリっと描いて、とか。お化粧に関してはいくらでも直せるのでいいんですが、雰囲気のようなことを言われると難しいですね」

──「ちがう」といわれるとへこみますか?

「へこみます。申し訳ないなと思います。出棺するまでズドンとしていますね。でも、へこんでも家族と一緒にお直しができて『ああ、いいわ』という言葉があれば、そこで『うん!』となりますが。
 へこんだときにどうするか? そうだなぁ。時間が解決するという感じなのかなぁ……」

──この仕事が自分に向いていると思うのはどこですか?

「うーん……細かいところに目がいくということかなぁ」

──さっきご飯粒を指摘されましたね(笑)。

「ああ(笑)。エンバーの仕上がりの部分で、髪の毛の流れぐあいとかも気にするので、そういうところに目がいくという自信はあります。でも、それぐらい。処置のどうのこうのよりも、気がつかえるところですかねぇ」

──5年後もこの仕事をされているとおもいますか?

「思います。これ以外にできる自信がないので。うん、たぶん」

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 大屋さんにはもうすぐ1歳と3歳になる子どもがいる。仕事が終われば保育園に迎えにいく。「大変ですけど、エンバーが入っていないときは15時で上がらせてもらったり」と働きやすい職場だという。

──ご自分をいいママだと思いますか?

「えー、わかんない。でも、大屋家に生まれてきてよかった、と勝手に思っています。ええ(笑)。思うだけで、もう幸せですから」

 夫も同じ業界のひとらしい。なれそめをたずねると「職場結婚じゃないんです」とガードされてしまった。「支障があるなら書かない」という前提で聞くと、専門学校時代に知り合った。「エンバーのことも知っているし、いまでもよき相談相手」だと笑顔になる。話すうち「同業だということまででしたら、もう書いていいです」と許可がでた。

──最後に「この仕事を、ひとに薦めたい」とおもいますか?

「ご遺体と向き合うことが大丈夫であれば……。薦める、すすめる、うーん、どうかなぁ。エンバー業界というのは狭いんですね。いまは足りないといわれているけれど、薦めておいて就職できないとなるといけないし。でも、いい仕事だと思っています」

──お聞きしたいのは、『おくりびと』という映画をきっかけにして、若いひとたちが葬儀の仕事に興味をもつようになりましたが、昔は死にかかわる職業というので忌避されるところがあったとおもうんです。

「ああ、そういうことかぁ。そうですねぇ、ためらう、というのはありますね」

──たとえば知り合いの葬儀屋さんはいまでも、近所の人にどういう仕事をしているかを明かしていない。隠すというのでもないけれど「会社員」とぼやかしているという話を聞いたのが印象に残っているものだから。

「そうかぁ。わたしは昔の居酒屋時代のバイト仲間だとか地元の友達とかだと言えるんですけど、子どもの保育園ママとかと仕事の話になったときは、言わないかなぁ。冠婚葬祭と言ったりするかなぁ……」

──カンコン?

「そうですね、冠婚って言いますね(笑)。そういう意味では、いちおう空気を読んで答える。葬儀とか『死』について、いいイメージをもっていない人がいるとは思っていますから、そこは気をつかいますね」

──「恥ずかしい」ということではなくて、ですよね?

「それは思っていないです。でも、ためらうというのはあります。亡くなった人を扱うということに対して怖いという人もいますからね。そこは、ちょっとね」

──将来、お子さんが大きくなったときに、仕事の説明とかは?

「考えてなかったけど、うーん、でもダンナさんのほうは『言うよ』と言っているし。わたしも、言うかな。でも、それでイジメの原因になったら、という話ですよね。それはそのときに考えると思いますが、うん、でも言います。言いますね」

──いまの迷いもふくめて仕事に誇りをもっている「とってもいいママ」だと思いました。

「ほんとうですか、ありがとうございます」

インタビュー・構成/朝山実
写真/山本倫子

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株式会社 神奈川こすもす
大屋佳南子(エンバーマー)
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