トップインタビューvol.13 株式会社ハウスボートクラブ 代表取締役社長 村田ますみ氏
東京湾を中心に全国やハワイで海洋散骨を行う株式会社ハウスボートクラブ。2015年には都内初となる終活コミュニティカフェ「BLUE OCEAN CAFE」をオープンし、終活相談やセミナー、介護予防デイ、こども食堂など、多彩な活動を展開。2019年2月、株式会社鎌倉新書への株式一部譲渡によりグループ会社となり、海洋散骨のさらなる発展を目指している。今回は、子会社化に至る経緯や、海洋散骨事業の詳細と今後の展望などについてお話を伺った。
海洋散骨の仕事が楽しくて。
あっという間の13年でした
━━2019年2月に行われた鎌倉新書への株式一部譲渡について、きっかけや合意へ至った経緯を教えてください。
お話をいただいたのは、2018年の6月くらいでした。やはり自分で作った会社は自分の子どものようなものなので、最初は抵抗がありました。でも、鎌倉新書の経営メンバーの方と「なぜ私たちにお声がけいただいたのか」を、すごく長く深くディスカッションさせていただいて、徐々に信頼関係を築けたことが大きかったですね。
━━鎌倉新書から声が掛かった理由はどういったところにあったのでしょうか?
鎌倉新書のお客様からのご要望の中で、海洋散骨へのニーズが増えてきていることが大きな理由だったそうです。売上だけを重視しているのではなく、お客様が求めるものを提供したいからという姿勢に共感しました。私は仕事を誰とやるのかを重視しています。同じところを見ている、この人たちとなら一緒にできそうと思いました。
━━合意へ至った決め手は何でしたか?
私は海洋散骨をもっともっと世に広めたいと思っていますが、一人で頑張るよりも、より情熱を持ってやってくださる方がほかにもいらっしゃるなら、託してもいいかなと思えるようになって。鎌倉新書がもつメディアやプラットフォームビジネスは、すごく強みになると思いました。
創業して13年。その間世の中もですが、当社の事業もすごく変化がありました。今後もずっと変化していくと思いますが、鎌倉新書のグループ会社になったことで、そのスピードをさらに加速できるのではと期待しています。
また、働いている従業員のためというところも大きいですね。従業員のみんながちゃんと安定して幸せに働けるよう、このオファーを受けようと思いました。私と、船長を務める主人の父ちゃん母ちゃんの個人商店のままだったら絶対この話は受けなかったと思います。だから「みんなのためにもこの話を受けたんだよ」と従業員に伝えています。
━━提携後は何か変わりましたか?
事業の内容や仕事のやり方に関してはそんなに大きく変わっていないですね。「これまでと同じようにやってください」と言われているので、むしろ好きにいろいろやらせていただいています。
鎌倉新書から出向している方が私の右腕となって苦手な管理面を担当してくれて、すごく助かっています。近い位置で何でも言いたいことを言える関係なので、今後、事業シナジーを考える面でも良いことだと感じています。
━━提携によるシナジーはどんなところで出てきそうですか?
提携以後は、上場企業である鎌倉新書のルールに則った体制作りを進めてきました。これから、お互いのリソースを使ってどんなシナジーを生み出せるかを試していく予定です。
また、グループ会社となり経営が安定したことによって採用がしやすくなりました。優秀なメンバーが多く集まってくれたのは、提携した一番の効果かもしれないですね。
学生時代の起業や、IT•花の仕事の経験
すべてが今の仕事につながっている
━━ハウスボートクラブを創業されたきっかけはお母さまのご希望で海洋散骨をされたこととお聞きしました。
そうですね。母は2004年に他界して、その1年後の2005年に沖縄の海で散骨しました。加えて、東京湾でクルージング船の船長をしながら海洋散骨の仕事もしていた夫との出会いもあり、2007年に創業しました。
━━なぜ、起業しようと思われたのですか?
起業は私の人生の中で2回目だったので、ハードルが低かったのかもしれません。1回目は学生時代です。ネット系の会社を立ち上げて、ホームページの制作や下請けをしていました。その会社を辞めたあとは、興味の赴くままに転々といろんな仕事をしました。
結婚や出産・育児に専念した時期もありましたが、割合としてはIT系の仕事に携わることが多かったですね。花に関わりたい気持ちも強くて、花の市場で働いたり、独学で作ったフラワーアレンジメントをネットで販売したりもしていました。
今の会社を立ち上げる前は、中古車のネットオークションをしている会社の花卉(かき)事業部に所属して、システムを使った生花の卸事業を担当しました。私がやってきたITと花の知識の両方が活かせる仕事でした。現在も仕事でお花を大量に扱う時は、そのネットオークションで花を仕入れることもあるんですよ。
やっぱり自分がやってきたことや歩いてきた道はつながっていて、無駄なことってひとつもないなって思います。でも、この会社を起業するまで、本当にいろんな職種を転々としていて。同じ業界ではあるんですけど、なかなか長続きしないというか。3年以上同じ仕事をしたことがなかったんです。それがこの13年、楽しくてしょうがなくて。気がついたら13年経っていました。
━━起業後の業績は順調に伸びたのでしょうか?
起業した年の海洋散骨の受注は6件だけでした。2019年は600件を超える見込みですので、ちょうど100倍に増えています。(編集部注:インタビューは2019年12月に実施)
始めた頃のお客様の反応は「そんなことやっていいんですか?」「大丈夫ですか?」という感じで。葬儀社さんへ営業に行っても「海洋散骨?そんなの聞いたことない」となかなか受け入れてもらえませんでしたが、今は葬儀社さんも積極的にサービスとして取り入れていらっしゃるようになりました。
また、2019年に互助会の役務に海洋散骨が入ったことは大きな動きでした。互助会で積み立てたお金を散骨にも使えるようになったんです。お墓には使えないのに、散骨は認められた。つまり、散骨は埋葬の代わりというよりお葬式の一形態、セレモニーと捉えられているのだと思います。私も創業当初から散骨は葬送のセレモニーとして考えています。
━━件数が伸びた理由をどのように見られていますか。
2011年3月に東日本大震災が発生し、その年は夏まではキャンセルが相次ぎ、ほとんど仕事がなかったのですが、後半に依頼が増えて50件ほどになり、翌2012年からグッと件数が伸びだしました。
あの震災は日本人の精神的なところにすごく深く楔を打ったというか、お墓がああやってたくさん流れる映像がニュースで流れたりしたことで、死は誰にでも訪れるものだとすごく身近に感じた方が多かったのではないでしょうか。「終活」という言葉が広がったのも震災以降ですよね。震災を機に、件数増加のペースがちょっと上がっていったと思います。
直葬後に豪華なチャータープランを利用される方も。
葬儀への意識やお金の使い方が変わってきた
━━全国で海洋散骨を行われていますが、どういったプランがあるのでしょうか。
プランは、チャーター、合同、代行の3つあり、件数は3つとも同じくらいの割合ですね。チャータープランには祭壇、お食事、返礼品などが含まれており、本当に葬儀のような感じです。
日本全国に加え、昨年からハワイでもできるようになったのですが、600件のうち500件くらいは東京湾での散骨をご希望されます。
近年、東京ではだんだん葬儀の規模が小さくなってきていて、直葬率も上がっていますが、直葬をした後で親族やお友達を呼んで海洋葬をする方もいらっしゃいます。
━━お別れ会のようなイメージでしょうか。
そうですね。チャーターはお別れ会+散骨という感じです。火葬は身内だけで済ませたあと、故人の知人を招いて船で本葬をされるケースもあります。最初の頃は、直葬と委託散骨セットプランなどもご用意していたのですが、続けていると、実はそれ以外のニーズが結構あるなって思ったんですね。
例えば、直葬をされた後に豪華なチャーター葬を行い、その後に100万円でご遺骨からダイヤモンドを作るとか。お葬式の総額は何百万円かかったとしても、お金を使う場所が変わってきていると感じます。
━━そのスタイルだとご家族にとってはゆっくり故人と過ごす時間が取れて、かつ親しい方とのお別れの会も開くことができますね。
そうなんですよね。私たち、打ち合わせの時に、必ず聞く質問が2つあるのですが、1つは「なぜ散骨なんですか」という質問で、その家族の関係やお墓の状況とかが伺えるんですね。もう1つは「お葬式はどんなお葬式でしたか」とお聞きしています。
そうすると、「もっとこうしたかった」といった要望が出てきたりして「じゃあ、その時できなかったことを実現しましょう」と話が深まって、その方に合ったプランをご案内できることはあります。