──いま木村さんは納棺師であるとともに、葬儀社の経営者であり、後進育成の学校も主宰される、教育者の立場がありますよね。

「いや、経営者ですね。教育はできないので」

──では、経営者の比重が増していったときに、現場に立つことが減っていくと思うんですが、それは?

「自分が現場に出ないといけないとは思っていません。僕が、なぜこの学校をはじめたかというと、納棺は徒弟制度だったんですね。師匠の質で弟子の質も決まってしまう。教え方もそうですが、師匠の背中を見て覚えろという職人気質のところがあって、すこしずつやり方もちがう。そうすると、納棺師によっては当たりはずれが生じる可能性が出てくる。だから、まず基準をつくろうと考えたのがひとつ。

 あとは、僕が納棺を一生懸命にやったとしても、年間に出来る数は限られている。僕が考える高い水準の納棺師が増えていったほうが、納棺の儀式が広がると思った。僕の使命はそっちだと」

このままで終われない!
台湾大手の葬儀会社に突撃訪問

画像5: トップインタビューvol.14 ディパーチャーズ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 木村光希氏

──納棺師の学校をつくられるとともに、納棺師の資格認定を行う協会を設立されているのはそういう流れの中にあったんですね。同時に学校を海外展開もされているのは?

「そもそものきっかけは、僕が21のとき(2001年)に行った中国での一年くらいのプロジェクトで、現地のスタッフさんに納棺の技術を教えた。そのときに作ったカリキュラムを日本でもやろうとしたんです。それで韓国に行ったり、マレーシアに行ったり」

──当時の現地での受け入れ体制はどうなっていたんですか?

「つながりのあった台湾の社長さんが中国に進出するというので。これ、あまり言ってないんですが、その人と認識の食いちがいとかいろいろあって計画が頓挫した。このままでは終われないと、台湾の上から五位くらいまでの葬儀会社に突撃訪問したんです。通訳をつれて、布団と仏衣と化粧道具を持ち、『日本から来た納棺師です。いまなら、これこれの金額でデモンストレーションをします。ただし、一社限定。この場で決めてほしい』と」

──強気なセールスだなぁ(笑)。

「僕も若かったので(笑)。幸運だったのは、一つの通りに葬儀社がずらっと並んでいて、最初に訪問したナンバー3の会社が『いいよ、やろうよ』と言ってくれた。そのとき『もう一社決まりかけている。そこは百人集めると言っている。それ以上、呼ぶことは可能ですか?』と聞いたんです。そうしたら『ヨシ!二百人呼んでやる』と。本当に二百人来たんです」

──なんとバンカラな(笑)。物静かに見えた「プロフェッショナル」での印象が一変しそうだなぁ。

「アハハハ。それで、その二百人の中に台湾の葬儀学校の校長先生がいらっしゃって『素晴らしい』と言ってもらい、台湾の学校で講演とデモンストレーションをさせてもらうことになる。その台湾の学校がマレーシア、中国、韓国で姉妹校契約をしていたことから、僕も講演をすることができ、日本の『おくりびとアカデミー』と姉妹校契約をさせてもらえ、いまも年一回学術交流をしています」

──結果として「ナニクソ」というパワーがいい方向に働いたのであれば、よかったのでは?

「そうですね(笑)。その人には、息子のように目をかけてもらっていたし、うまくいかなかったことは残念だけど、でも、すごい勉強になりました。

 8割方、生徒に教えこんでいたときに、日本車が壊されるなどの反日デモが行われていて、『いまはこっちには来ないほうがいい』といわれ、騒動が治まるまで様子を見ようとなった。だけども一向にお金は支払われず、日本から輸出した棺桶とかの代金もどうなったのか。結局、うやむやなまま(笑)。

画像6: トップインタビューvol.14 ディパーチャーズ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 木村光希氏

──ところでアジアの学校に教えに行かれたのは、映画の「おくりびと」(08年公開)がヒットしたという背景があってのことですか?

「そうです。だから、日本から来た『おくりびと』だということで特別扱いしてくれるんですよね。それもあって、意識して態度を大きくして、この場で僕のデモンストレーションを目にすることができるというのは価値のあることだと見せていた」

──話をうかがっているとテレビの印象とは別の一面を見ているようで(笑)。

「ハハハハ。僕も日々悩んではいるんですよ。もちろん納棺の仕事をしているときの僕も全力でやっているんだけど、ビジネス的なことになると動き方がちがってくるんでしょうね」

『見る』という目的以上に
『見ていますよ』ということを遺族にみせる

──それで向こうには「納棺」という儀式はなかったんですか?

「たとえば台湾には日本のものと、台湾で発展したものがあります。ただ、台湾独自のものは、かなり日本のとは異なっていて、そのぶん変革がしやすかった。たとえば、衣装を着せるときにも肌が見えてしまっていたりする」

──所作が丁寧でない?

「まあ、そうですね」

──そういう環境でも、日本のやり方が浸透するものなんですか?

「まず、ご遺体を物のように乱暴にドン!と置く。脱がせた着物も放り投げてしまう。そこの意識を変えるところから始めたんです。

 僕らは腕を持つときにも、下からすくいあげ、静かに置いてから一秒待ち、手を離す。そういう所作の決まりがあるんですが、彼らは『なんでそういうことをするんだ?』という。

『わかった。じゃあ、自分の両親だとしたら、どっちでやってほしいか考えてくれ』と話して、頭をゴン!と下ろす動作と比較してもらった。

『どっちがいい?』『そりゃ、丁寧なほうだよ』というので、『だったら、そうしようよ』と教えていくと、これがもう驚くほど上達が早い。30人くらい生徒がいた中に『すごいなぁ』という人が何人もでてきた」

──思考の切り替えが早い?

「そうですね。心も大事ではあるんですが、心は外からは計れない。だから外から評価できる技術については、徹底してやってくれといっているんですね」

──その「技術の評価」というのは?

「たとえば、どんなに丁寧にやっていたとしても、ご遺族が見たときに『荒っぽい』と見えたらダメなんですよ。身体を支えて、起こす。そのときには右手で支えるんですが、左肘を伸ばしたままにするのか、ちょっと曲げて、指を浮かしてみせるか(と手を動かす)」

──納棺師の身体に負荷がかかっているように見えることで、見た側は「丁寧だなぁ」と思うということなんですね。

「そうです。あるいは、作業をしている間に、お顔に目線を移動させる。これだけでも気遣ってくれているように、ご遺族には感じていただける。処置としては、ちらっと見るだけでも十分なんですが。つまり、『見る』という目的以上に『見ていますよ』ということをみせる。技術には二つの要素があって、そこを考える必要がある。ただ『気持ち』を込めればいいというのでもない」

──評価するのは、ご遺族なんだということですか。

「そう。たとえばラーメン屋に入って食べたのが、おいしくないと思ったとしますよね。店主が『いや、三日間寝ずにつくったんですよ』といっても、味の評価は変わらないでしょう。納棺も一緒で、どんなに気持ちを込めたとしても『乱暴に見えた』『雑にあつかわれた』と思われたら、何を言っても意味がない」

 木村さんの納棺師の「内面」に関する説明を聞くうち、わたしの脳裏に浮かんだのは、「ひとり芝居」の舞台で何百人ものキャラクターを演じてきた役者さんだった。様々な職業人をリアルに演じる「役作り」の秘訣を問うと、「内面は空っぽ」と教えられたことがあった。

 職業ごとに特有の身体の動かし方があり、その動きを演じる。「内面は観客が勝手に、教師や運転手だと思って膨らませてくれる」と説明を受けたインタビューのことを木村さんに話すと、「本当にそうなんですよ」と木村さんがいう。

「いま、すごく理解してもらったと思ったので、ついしゃべってしまいますけれど。じつはNHKに出たあと、僕がすごく温かい人間だと思われて、たしかにそうなんですけど(笑)、納棺中も気持ちをこめすぎて『ときには泣きながらやられているんでしょうね』といった言葉をいただくんですよね。

 それでは、仕事ができない。たしかに気持ちは大事ですが、やるべきことを理解し、それを懸命にやりとげることがより重要なんです。だから、僕の頭の中を占めている8割は決まった動作を間違えずにする、2割が思考と感情の部分。そうでないと気持ちが保てなかったりする」

 じつは木村さん「涙もろい」性分なのだという。脳内を占める作業の割合がまだ5割だった時期には「気持ちが引きずられ」次の現場にも響いてしまっていた。「何のために」と考えるようになってから、パーセンテージは変化していったという。

 ちらっと木村さんが時計を見る。さきほどの電話の件が気にかかるらしい。

サッカーボールにみんなで寄せ書きして..
それが僕らの中でお葬式になった

画像7: トップインタビューvol.14 ディパーチャーズ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 木村光希氏

──では、そろそろまとめに入りますね。木村さんは「お葬式」に必要なものは何だと考えられますか? あるいは何のためにするものなのか? 自分の葬儀はこうしてほしいと事前に指示するひともいれば、「要らない」というひともいますが。

「よく言うことなんですが、うちの会社のコンセプトは『みんなが、おくりびとになる』。お葬式をやらなくてもいいという方もいるのもわかります。ただ、人は何かしないと気持ちわるいんですよね。それが葬儀なのか、手を合わせることなのか、自分の中で対話することなのか。『おくる』という形は人それぞれだとは思うんです」

──遺されたものが納得できるのであれば、「形式は自由でいい」ということですか?

「そうですね。僕の友人がね、数年前に亡くなったんですよ。ご葬儀も何もなくて、二年後に知ったんです。そのとき現実として受け止められなくて、どうしようというんで、みんなで集まって、サッカーボールに寄せ書きをしたんです。

 書いた文字はあとで消し、ボールは部活の後輩たちにプレゼントした。それが僕らの中でお葬式になったんですよね。

 何が言いたいかというと、『納得』が重要だと思うんです。そのためにお葬式や納棺の儀式がある。だから、形は時代とともにどんどん変わっていくかもしれない。形はそれぞれだろう、というのは常に考えていることです。

 だから、訊かれたら『お葬式はしたほうがいい』と言います。言う以上、いいものにしようと考えています。言った責任があるので。ただ、『ぜったいやらなければいけない』とは言えない。それぞれに考えがあるし、その人らしい送り方があると思うので。そこを考えることが大事だと思います」

 学生時代に木村さんは、将来も続けるかどうか迷うほどサッカーに打ち込んでいた。サッカーボールの葬儀は、当時の仲間に対する追悼だった。さらに葬儀の意味を問われた際、ときにはこんなふうに話すこともあるという。

「亡くなった方の願いを聞く場所として、みなさんが集って、亡くなった人が何を自分たちに言おうとしているのか聞いてみる。そういう時間になるかもしれませんね」

 取材を終えると、木村さんは電話をかけ、「これから伺います」と伝えていた。コートを着込み、鞄を手に応急処置に行くという後姿は診療医師のように見えた。

画像8: トップインタビューvol.14 ディパーチャーズ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 木村光希氏
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最近読んだこの本

木村社長に、最近読んだ本の中でおすすめの一冊をご紹介いただきました。

『伸びる会社はこれをやらない』安藤広大著

「『社長は二次会に行かない』『社長は社員のモチベーションを上げない』など、これまで経営者としてあなたがやってきたことは間違いですよという本です。

面白いのは、この本で言っているのは、ルールが大事だということ。僕ら納棺師は職人気質がつよく、それぞれ独自のルールをつくっている。納棺師の人数が増え、いまはある意味、信号のない交差点状態にちかい。だから信号や横断歩道をつくることで、働きやすくしないといけない。そうすれば、お客さんにもいい仕事を提供できる。

そういうところを、いまは意識して会社をつくっています」

【プロフィール】木村光希(きむら こうき)

1988年生まれ。納棺士である父の影響もあり、幼少期から納棺の作法を学ぶ。
納棺・湯灌専門会社にて納棺士として働いた後、上京して台湾をはじめとしたアジア各国で納棺技術の指導を行う。2013年6月、株式会社おくりびと®アカデミーを設立。代表取締役に就任。同年10月には、納棺士の資格認定を行う専門機関として一般社団法人日本納棺士技能協会を設立する。2015年12月、納棺士が葬儀をプロデュースする葬儀社 ディパーチャーズ・ジャパン株式会社を立ち上げ、全国で11店舗展開中。

▼ディパーチャーズ・ジャパン株式会社公式サイト
https://okuribito-osousiki.com/

<納棺師なキラリビトたち>


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