トップインタビューvol.9 株式会社八木研 代表取締役社長 八木龍一氏 

「市場のニーズやウォンツを発掘し、それをカタチにする」をコンセプトに、モダンな都市型仏壇のパイオニア的存在として知られる株式会社八木研。ライフスタイルの変化をいち早く捉えた“時代の一歩先ゆく”仏壇・仏具を次々と開発している。仏壇・仏具業界をけん引する八木龍一社長に、ものづくりに対する姿勢や商品の着想についてお話を伺った。

知り合いの家具屋さんの話から潜在ニーズを見出した

━━仏壇・仏具業界に参入されたきっかけを教えてください。

 八木研の「研」の字に見られるように、弊社は当初、研磨剤の製造を行う会社でした。さまざまな企業から研磨剤を受注していたのですが、その一つが仏壇店だったのです。当時の大阪には色々な工場がたくさんあり、商品の開発を依頼されることが多く、仏具のりんを鳴らすりん棒をアウトソーシングで製造するようになりました。それが仏壇・仏具業界に参入したきっかけです。

━━りん棒の他にはどのようなものを販売されたのですか?

 最初はお寺様からの要望に応える形で木製品を中心に商品開発を行っていました。蓋(ふた)が勝手に開かないようにネジを切って閉められるようにした木製の香合や、線香筒、畳を痛めないように改良した椅子など、既存の物で不満があったものを工夫し改善した商品は評判もよく、とても喜んでいただけました。こうして徐々に木工の技術を高め、ノウハウを蓄積していったのです。

画像: 「仏壇・仏具だけでなく、お客様からの要望があればどんなことにもチャレンジしています」と八木社長

「仏壇・仏具だけでなく、お客様からの要望があればどんなことにもチャレンジしています」と八木社長

━━仏壇を作り始めたのはいつからですか?

 仏壇の製造に乗り出したのは1984年。それまで居室の主流だった和室にカーペットが敷かれるようになったり、キッチンダイニングが登場するなど、洋風の部屋が人気になり始めた頃でした。洋風の部屋には、従来の仏壇がデザイン的に部屋に合わないことに気づいたのです。そこで、扉を閉めておけば家具のような外観で、扉を開けば仏壇といったタイプの洋風の仏壇を考え、開発に着手しました。

━━反響はいかがでしたか?

 最初はどこの販売店も相手にしてくれませんでした。コンセプトを理解してくれた家具屋さんと相談しながら外装や内装を考えていきましたが、私たちが目指していたシンプルでモダンなデザインに対し、仏壇屋さんの反応は「もっときらびやかで尊厳さを感じるものでないと世の中には受け入れられない」というものでした。また、家具屋さんからも「こんなに高い値段の家具は売れない」と指摘される始末。結果、初年度は500基を製造したうち売れたのは3基のみでした。

画像: 1984年に発売した八木研の仏壇第一弾。当時は「自由仏壇」と命名

1984年に発売した八木研の仏壇第一弾。当時は「自由仏壇」と命名

━━業界だけでなくお客様からも受け入れられなかったのですね。

 予想以上に困難なスタートとなったことで、私も急遽、製造部門から営業に移り、1台でも多く家具屋さんに置いてもらおうと歩き回ることになりました。

 ある時、知り合いの家具屋さんから「最近では仏壇用に、テレビ台やチェストを買いに来る客が増えた」という話を耳にし、「チェストと一体型の仏壇なら市場に受け入れられるかもしれない」と新たな商品のヒントを得ることができたのです。そこで値段を安価に設定して仏壇とチェストを合わせたタイプを販売したところヒット商品となり、ようやく事業に光が見えました。

大切なのは、既成概念を取り払って
今までに無いものを作ろうとする意欲

━━そこから次の商品開発はどのように進められたのでしょうか?

 それまで仏壇はお寺のミニチュアだといわれていました。ところが、民俗学者の柳田國男氏の書籍を読むと「仏教が伝来する前まで日本人は魂棚(たまだな)と呼ばれる棚を設け、先祖の霊を祀っていた」と書いてあります。つまり、仏壇の前では多くの人が御本尊ではなく先祖に手を合わせているのです。仏壇は寺とはまた違ったものだと気づかされました。

 こうした気づきから、祈りの場としての仏壇本来の在り方を原点に戻そうと考え、仏壇のデザインをそれまでの暗いイメージのものから、明るいものへと一新したのです。”ご先祖様のステージ”をテーマとした「現代仏壇」を1991年に発表すると大きな反響を得ることができました。

━━仏壇のイメージを変えたところ、反響があったのですね。

 当時の仏壇店は、数多くの商品を店頭に並べたいという考えから、狭いスペースにたくさんの仏壇を置いており、仏壇の上に仏壇を重ねて展示しているなど、まるで倉庫のような展示をしている店がほとんどでした。そこで、当社では、来店された人が家に設置した時のイメージが湧くように展示方法を工夫し、お洒落な洋服店のイメージのブティック風に展示することを考案したのです。

画像: 広い店内に現代仏壇をゆったりと展示するギャラリーメモリア

広い店内に現代仏壇をゆったりと展示するギャラリーメモリア

━━商品のアイデアはどのようにして得ているのですか?

 常に問題意識を持ってアンテナを張り、お客様の立場で考えれば自ずとアイデアは生まれます。また、異業種の方との交流を持つようにしています。例えば、弊社の壁掛け式の仏壇「ライフ」は、週末の新聞に入っている住宅のチラシをチェックし、「このスペースに仏壇を置けるのではないか」と建築業界の方々に相談したことが商品化のきっかけでした。

 毎日お供え物をする仏壇は、身近な存在であることが欠かせません。「どこに設置するか」という観点から考えることも必要だと思います。

画像: 置き場所を取らない壁掛け仏壇「ライフ」

置き場所を取らない壁掛け仏壇「ライフ」

━━商品開発で大切にしていることはありますか?

 先入観に捉われずに既成概念を取り払い、今までに無いものを作ろうとする意欲です。潜在需要があると思ったら、とにかく作ってみること。また、古くから守られている伝統も大事ですが、一度自由な発想で、生活の中で置きやすい場所や機能性から考えてみることも大切だと考えています。

 伝統が生き残っているのは、革新があるから。つまり、革新の連続が伝統になるのです。古いことを守るだけでは、弔いの文化そのものまで衰退してしまいます。先祖を想うという原点を忘れてはならない一方で、時代の変化に合わせたものを提案することも必要だと思っています。

画像: 技術とデザインの粋を集めたという最高級仏壇「グランクリュ」シリーズ

技術とデザインの粋を集めたという最高級仏壇「グランクリュ」シリーズ

━━これからの取り組みを教えてください。

 昨年発表したのが、最高級仏壇「グランクリュ」シリーズです。今、仏壇・仏具市場は最盛期の約半分に落ち込んでいます。再び業界を盛り上げていくためにはお客様のご要望に応えるだけでなく、新たな潜在ウォンツを発掘し、新しい提案をすることで活性化していくことが重要です。

 最近では、仏壇づくりだけではなく、これまでの経験と技術を生かして旅館などの家具づくりにもチャレンジしています。失敗を恐れず、トライすること。常に新しい提案をしていくという弊社の強みを活かし、道なき道を進むことが弊社の使命だと考えています。

【プロフィール】八木 龍一(やぎ りゅういち)

1952年生まれ、大阪府出身。1976年に山梨大学電気工学部を卒業後、電子部品の専門商社の岡本無線電機株式会社に入社し、約2年間勤める。1978年に八木研に入社し、のちに同社の主力商品となる「現代仏壇」の開発に携わる。1995年、代表取締役社長に就任。趣味は仕事、焼酎、グルメ。

▼八木研公式サイト
https://yagiken.co.jp/

<八木研のキラリビトたち>


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